昭和52年09月17日 朝の御理解
御理解 第17節
「神の綱が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな。」
難しい問題に直面いたします。願っても願ってもおかげになりません。そういう時にこれはもう駄目だとこれはもう難しいかろうと。いわば自分でさじを投げる。そういう時が神の綱が切れたという時じゃないでしょうかね。自分でおかげを受けられんとさじを投げてしまっておる。それではおかげになりません。
だから勿論そういう時に、おぼれる者は藁をもつかむというそういうものではなくて、自分が生き生きとおかげを受けた時のことを思うて、またいろいろ神様の働きを受けたことを実感した時のことを思うて、それこそ、これはまだ信心が足りんのだと、一心の信心をしてくれそこからおかげを受けられると仰せられるけれども、その、一心の信心をしていく、その一心の信心の目当てというものが必要なのです。おかげが頂けれるじゃろうかと、という時にはもう神の綱を離しかかっておる時。
もうとてもだめだという時にはもう神の綱を外したとき。自分でさじを投げる。昨日午後の奉仕の時でしょうか。日田の森山さんが二度目のお参りをされて、なるほど難しい難儀な問題がいくつもある。その一つ一つをおかげを受けていかなければなりません。その時に私神様にあのいろいろ頂いておった時でしたからその頂いておったことを御神米に書いて差し上げました。そして帰られた後に中々よいことを書いてあげたごたったが、どげん書いたか忘れてしもうた。
どう言う事じゃったじゃろうかと思うて、それを考えてみるけれども、それがまだまとまらんのだけれども、大体どう言う事だった覚えておんなさる、昨日の御神米に書いた事。とにかく、森山さんと言う方は、坂本さんのお導きで、もうそれこそ奇妙な病気でどうにも出来ない程しに難儀をしておられる所に御導きを頂かれたのですけれども、もう不思議に早速神様が、それこそ手の平を返すようなおかげを頂かれて、まあそれまでには沢山の神様を拝んでおられたし、参って参られたそうですけれども。
まあ金光様一心にお縋がりをして、いわゆるその健康のおかげを頂かれた。そして自分が長い間、闘病生活をしておられた時の事業が、思わしくなかったりいろいろ、日田の私は行ったことがないから知りませんけれども、駅前であのレストランをなさっておられる。日田というレストランをなさっておられるが、昨日行かせて頂きましたら、お参りをするようになって、まあ月にですけれども、まあ千人くらい多くなったっち。お客さんが。そういう働きを受けておる。
また自分の体の上にもこの様なおかげを頂いておるのですけれども、片一方の方の事業が、どうにもいけない。またはある人間関係の問題で、大変深刻な問題がある。ね。まあ、普通から言うたらまあ難しい問題だねと言う所ですけれどもまあ、こげな事がおかげになるじゃろうかと森山さん自身も思われるほどしの事じゃなかろうかと思うのですけれども、そこをお取次ぎを頂いて、お縋がりを、まあ昨日はその事の為に昨日は二度目のお参りをなさったわけです。
その時にこういう事を書いて差し上げたのですね。「自然力と合楽理念の作用を実証するチャンスを生かせ」とこういうてある。はあこうだった。確かにこれは思い出すけれども、どうしてこう書いたか思いださん。自然力。天地金乃神様のいうならば大きな働きと合楽理念の作用というものがどのような関係をもっておるものかというと今こそ実証する時だと思うのです。
その、このチャンスを生かせというのである。普通でいうならば、もう神様こげなことはおかげにならんめと、自分からさじを投げたい事柄や、問題であるのですけれども、それは、神様の働き、いわゆる自然力と合楽理念の作用というものがです、どのような関わり合いをもって、その働きが表れてくるかというそれを、実証するこよないチャンスだというのです。
だからむしろ反対だから、問題はその合楽理念を本気で、徹底して行じようという気が起こってくるわけであります。合楽で言われる合楽理念、合楽理念と言う事がなら、この大きな問題と、天地の親神様の働きとの関係が、どういう作用を持つものかと。そういう難儀な時には、そういう愈々素晴らしいおかげの実証出来れるチャンスに恵まれたんだ。そしてそれが鮮やかなおかげになって来る時にですね、本当に合楽理念というものはいよいよ素晴らしいのだなと言う事が分かるのです。
だから今まで徹しきれなかった合楽理念にまあ徹する以外にないのです。そこからですいわゆる、助かりの燭光申しますか、これは助かられるぞという何か日の光をみるような思いがするのです。やはりそういうね助かりの燭光がね、自分の上に注がれてくる。そこに勢いがでるのです。燭光を見るなりにただ、闇の中を手探りで歩いておるような信心では本当なことではありません。燭光というのはこれは三十年も前の話。当時の子供会少年少女会が、今の秋永嘉郎さん達がまだ小学生のころでした。
それでもやっぱり三、四十名くらいあった。ちょうど二十四日が、私がその時分には共励会に行っておりましたから、北野の秋山さんのところで共励会がありました。そして二十五日がやっぱりあの婦人会があっておりました。それからその二十五日の日があの、発心公園に信心実習会がある事になっておりました。その時分秋山さんところから、あくる日の25日婦人会、そしてその日がそのだったというもう、秋山さんの所から帰るときにはお湿りがあっておりました。
ですから明日はどんなにやっぱり、外に出されますかと言う様なお伺いがあったら、神様に御願いしとるとじゃけん、あるくさいというて、ところが明くる朝も雨が降っておるわけなんです。それでもやっぱりあの時分の信者さんは子供さんとそれに、子供の親も一緒に同道して、当時の椛目にみんな集まりました。これはこの降るならどんこんされんというて、御祈念をさせて頂いて今から出ろうかと言う事になった時分から上がりました。それから一向歩いて草野発心公園に参りました。
あちらに着きましてお湿りがあり始めました。ちょうど上にある方の別荘がございます、だからその別荘を借りてございましたからそこに入らせてもろうて、信心の共励をさせて頂いたり色々話をさせて頂いておる内にお湿りがあがりました。それからまあ低い山ですけれどももう、その雨雲が下に本当に何かなんというでしょうか、雲の中を歩いておるようなですね、何ともいえんそれぞれに信心実習が出来まして、さあもうそれこそそんな雲が下まで下りてきておるような状態で、それでもあの嘉郎さんが、それこそおもちゃのような写真機をもってきておりました。
それでまあ記念写真を取ろうとというので、その大きな岩に皆が立ちました。これは雲がある中じゃ、とても写真はとれめというて、もう言うと同時でした、雲がずっとあがったかと思うと、そこに一筋の燭光がバッとそこだけ明るくなったのです。皆さんもあの時の時分のことを覚えておるか、その写真がまだございます。もうそれこそ一筋の燭光がこのね、ちょうどキリストの絵の何かにみるような状態でした。日が照ってきたけん写真に写そうというのではなくてね。
さあ今から写真を写すからというて皆が岩の上に上がった、さあ写すよというた途端にそこだけがね、ぱっとこう一筋の燭光というのはまあそう言う事なんだ。私共の上に一筋のこれは助かられるという、そこに光を見つめてのものでなからなければ、矢張りさじを投げたい気持ちにもなるものです。けれどもこれで助かるぞと、私の助かりは合楽だという心が開けてくる時に助かりの燭光を感じると言うことなんです。色んな、おかげを頂いても、これだけはおかげを頂くまい。
これは頂ききるめというた時には、もう既に神の綱を外した時だと。神からは切らぬ、氏子から切るなと仰せられるのですから、しっかりそこのところただしがみついて、がむしゃらにお願いをするというのではなくて、そういう自然力と合楽理念の作用がどのような関係をもっておるかということを実証させて頂くこよないチャンスであると分からせてもろうてそのチャンスを活かし、自然力と合楽理念の作用を実証するチャンスを生かせとこう書いてある。
ただねしだこだというかね、おかげは頂ききるめちいうごたる気持ちでですね、よし、おかげを受けても、それではおかげを受けたというだけにしか過ぎません。けれどもこの際、合楽理念を徹底して行じて、いうならこういう問題と、天地金乃神様の働き、自然力とがどういう関係があってどういう作用を表すかと言う事をです、実証させて頂くチャンスだとおもわにゃいけんです。その代わりに合楽理念も、水も漏らさぬような合楽理念に徹することです。
それこそなそうと思えば、子供にでもなさることを、疎かにしておった様な事でもです、そこから漏ってなりませんから、目細かくいかにゃいかんです。そしてこれはちった難しかと思うような、合楽理念の中に詠ってある教えをです、本気で徹底して守らせて頂くと言う所から、いうならばおかげの実証が出来てくる。そして後から思うてみるとこういう確信と言うか、自信というかそういう力を、与えて下さる神様の働きであったと分かるだけではなくて。
勿論おかげの展開にまでなってくるわけです。神の綱が切れたというが、神からは切らんと仰せられるのですから、氏子から切るような、私共から切るような、どう言う事に直面いたしましてもこれは、とてもおかげいくら神様でも、こげな事にはおかげ頂かせて頂くめと、言う様な心が起こってきた時には、もう神の綱から手を離しておるようなものですから、本当のおかげになりません。
それを本当に力を頂くチャンスだと思うて、一心と信心を続けていけば、そこからおかげが受けられるというただ、そこからおかげを受けられる、というがむしゃらとか、無茶苦茶ではいけん。そういう時に愈々教えを行じて、日頃疎かになっておった、教えに徹底しての一心でなからなければならんと言う事です。今最近は口を開けば合楽理念ですから、その合楽理念の作用というものが、天地金乃神様の働きというものと、どういう関わり合い、そしてどういう作用をおこすかと言う事をです。
いよいよ実証するチャンスだと思うて、徹底合楽理念のね、実践に変わらせてもらわなければなりません。徹底して合楽理念をいわば、一切の上にね、家庭色んな生活の上にも表していく。そしてこの様に合楽理念というものが有り難いものだ、素晴らしいものだという体験をさして頂くこよないチャンスに恵まれたと思うて合楽理念の徹底を期していかなければならないと言う事ですよね。 どうぞ。